Latter Rain-Testimony (証)

日常の生活で生まれるクリスチャンの小さな証を綴っていきたいと思います。

神様のお守りと犠牲について

夏休み中、小学4年の娘が三育学院中学(千葉県・大多喜町)で開催されるEnglish Campに参加することになりました。ここで小学4~6年生が40名ほど集まって、2泊3日で寮での共同生活・宿泊体験するという素晴らしい企画です。親元をはじめて離れる、ということでドキドキしながら参加させましたが、他の系列小のお友達とも仲良くなり、菜食中心のヘルシーな1日3回のお食事、キャンプファイヤー、滝ハイキング、リクリエーション、また朝晩のお礼拝の時間など、本人にとって非常に楽しく恵みある時間が与えられました。

さて帰りは父親が閉会式に参加した後、車にお友達1名を乗せてアクアラインと首都高を経由して安全運転で無事帰宅することができました。ところが、帰宅した途端、車のエンジン制御関連の故障アラートがぱっとついたのです。この話を夫から聞いて、びっくりしたものの、神様がお祈りを聞いてくださり、首都高を走っている間も3名を守って無事に返してくださったことを知り、感動を覚えずにはいられませんでした。

このことを娘にも話したところ、意外な反応が返ってきました。「私たちを一生懸命運んでくれた車が壊れちゃったの?車があまりにも可哀そう」と涙を浮かべてしまいました。私も思わず涙が出てしまい、「今修理しているから大丈夫だよ」と言いました。あまりにも幼いその感覚に私も戸惑いましたが、娘とのやりとりからイエス様の犠牲も連想し、私も涙が出てしまったのかもしれません。私たちの救いのために自己犠牲の道を歩まれたイエス様。最後には十字架の犠牲によって死なれました。私たちの罪が赦され義とされるためです。神様の「守り」と「犠牲」とはどういうことか、今回の経験で家族ともに学ぶことができたことは大きな喜びです。

罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。(コリント2 5:21)