Latter Rain-Testimony (証)

日常の生活で生まれるクリスチャンの小さな証を綴っていきたいと思います。

子供は親のお気に入りの気分や態度をミラーリングする

先日のスクールカウンセラーの先生とのお話の中で、先生は「その子が好むと好まざるにかかわらず、子供は親の好む気分や考え方、態度に合う言動をミラーリングのように模倣する」とおっしゃいました。私はこの言葉にも頭をぶつけるほどの衝撃がありました。今までなんとなく知識レベルでこの事は知っていましたが、今回これが実物教訓になったからです。私の心の内の気分や癖までをも幼い娘は敏感に感じ取って、無意識にそれをそのままそっくり模倣していたなんて…。でもそれは今までの事を振り返ると、確かに思い当たる事でした。

でもそれは私自身の子供時代の経験としても、全く同じであると同時に思いました。私自身も、親の気分や態度をミラーリングして日々生きてきたのかと思います。良くも悪くも、「両親が大好き、親に愛されたい、親と同じような気分になって共感したい」という必死の思いがそうさせていたのかもしれません。イエス様も天の父を全てミラーリングされているのです。でも、このような神も持ちあわせている人間の性質自体が、親子の愛や優しさのみならず罪の性質をも代々の世代に継承してしまう結果となっている、という事実を考えると、非常に悲しく、また恐ろしくなりました!

このように親から影響を受けてきた気分、態度、衝動などは本当にしつこいほど自分にしみついていて、それが「イエス様のご品性とはほど遠いもの」と気づくのは至難です。ですので、今回のように成長段階で子供が利己的になったり癇癪を起こす、などの気がかりな実が生りはじめたとき、イエス様が親である私に「自身の的外れ」を示して下さっていることは確実かと思いました。何故なら娘は私のほぼ全てに影響されて育っており、娘という「実」を見れば明白なのです。

それに気づく時、自ずと罪の性質を持った自分と対峙することになるため本当に絶望的になります。しかし同時になんという主からの愛と憐れみと恵みだろうとも思います。もはや、自分自身だけの問題ではありません。娘のために、必死にその示された罪を拭ってもらいたい・・・!とすがるような思いで主に毎日祈っています。

今回のカウンセリング全体を通してあらためて教えられ、心に浮かんだ聖句は黄金律と呼ばれる、マタイ7章12節です。これは娘が通う小学校の中心的なテーマ聖句でもあります。これまで何度も触れてきましたが、今回ほど身に染みた経験はありませんでした。主を褒めたたえ、感謝いたします。

 

だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。