Latter Rain-Testimony (証)

日常の生活で生まれるクリスチャンの小さな証を綴っていきたいと思います。

品性を練られていく経験

昨日ユナイテッドプレイヤーの祈りの会で

させて頂いた証です。

先日の信仰の義によるディスカッションで、「救いとは何か?」という究極的で大きなテーマを皆さんと議論していた時、私は司会の方から突如指名されました。どうしよう・・・と思いながら回答しようとしたまさしくその時、小4年の娘にiPADの画面パスワード解除を執拗に迫られ、私はパニックになってしまい、必死で娘にあとからね、後からにして、とジェスチャーで伝えましたが彼女は全く聞き入れませんでした。そしてこの重要な問いに殆ど集中できない状態で回答するという結果となってしまいました。その後、私の中に怒りがこみあげてきました。それでどうもその怒りが収まらないので、必死にお祈りを求めました。ちょうど本日のために証が与えられる必要もあり、そのこともお祈りしようとしていました。すると祈りの最中に神様から「これと同じ証をしなさい」というメッセージが与えられました。というわけで、今日はその証をしたいと思います。

私の勤めている会社は恐らく世の中でいうブラックで、2年前に入社した新人社長はワンマン、冷血なほどビジネスライクで、社員に対する思いやりや共感など全くといっていいほど持ち合わせていない人です。彼のバックグラウンドはマーケティングで、マーケティング部門の私や私の上司には特に辛辣な態度をとります。他の社員の前で私たちを公然と叱責、罵倒します。この状態は彼が入社してから今もずっと続いています。

この2年は本当につらい経験が続いています。あまりにも一方的に批判されるので必死にこちら側も正当性を主張しますが効果がありません。すべて現場の私たちが悪い、という結論でした。どうしたら分かってもらえるのだろう?「ひとつのことでも忠実に」という聖句を胸に刻みつつこんなに必死に毎日働いているのに・・・かなりの絶望感と自己憐憫に陥ってしまい、心が疲れ切っていきました。

しかし前回の安息日学校聖書研究ガイド「試練を共にされるキリスト」を日々祈りの中で学んでいくうち、これは火を精錬される神様から与えられる必要不可欠な試練・とげである、とはっきり認識できるようになりました。最終時代を生き抜く私たちの場合、神様は「信仰による義」の奥義を成就させるため、一人一人の変えられなければならない品性を1つ1つ炉の中に入れ、それに気づかせ、余分なものを取り除き、最後には金のように練ってくださるというお約束があることを知りました。私はこの事を知った瞬間、絶望が希望に変わりました。認めたくはありませんが、クリスチャンになっても私の中に激しい怒り、相手への批判の心、プライドというものが確かにあったのです。神様はこの品性を、今の強烈な会社に私を置くことで除去されようとなさったのです。なんという神様からの恵みでしょう!ただ、それが分かってからも、幾度となく社長を批判し自己正当化したい強い誘惑に駆られそのGAPに苦しみました。けれども、日々この約束を信じて祈るうち、彼からの攻撃を受けても不思議と心が守られ、だんだん憤らなくなりました。自己正当化したい欲望は徐々に弱められ、黙って「はい」とだけ言えるようになりました。彼と対話するときにはその前に「イエス様が彼とお話ください」と祈るようにしました。そして社長のこの世に支配されている心に、憐れみのイエス様の心をもっとあらわしたいと思うようになりました。そしてその結果、最近では仕事や会議を沢山してもあまり疲れなくなりました。上司や同僚からは、「こんなひどい状況の中で、どうしてそんなにあなたは毎日元気に仕事ができるの?」と質問を受けるまでになりました。本当に驚きです。

今日も娘や夫、物事に怒りを覚える誘惑、他の社員が社長の悪口やゴシップをいうときに同感したくなる誘惑にかられますが、これも日々の試練が続いている証拠です。イエス様は確実に私を変えたいと思っておられます。その思いに応えるためには今日のようにまず真っ先に祈り求めて思い煩いを全て神様におゆだねします。そうすれば神様からのご指示や気づき、また自分の中の変化が必ず与えられることをまた改めて知りました。変化を与え、絶望を希望に変えてくださる私たちの神様とともにこれからも歩み続けます。