Latter Rain-Testimony (証)

日常の生活で生まれるクリスチャンの小さな証を綴っていきたいと思います。

求めない先から必要なものを与えて下さる

「三育小 保護者の方との霊的分かちあいの時間」について教会に提案した時のことを証させていただきます。

私は東京三育小に4年の娘がおり、私自身も三育関町教会に所属しています。
私は娘と土曜礼拝に参加し始めたことをきっかけに、約2年前に、日曜教会からセブンスデー・アドベンチスト教会に導かれました。

このような証が私自身にありますので、お子さんを三育小に入れた保護者の方々の救いを、同じように願うようになりました。
保護者は毎週、お子さんたちとファミリー礼拝に参加されています。
お子さんたちが安息日学校に参加している間、保護者の方には「土曜のつどい」という聖書のお話の時間が持たれます。
ちなみに私はこの「土曜のつどい」の奉仕メンバーを担当しています。

ある日私は「土曜の集いで、5分、10分でもよいので、聖書のお話を聞いた後、2~3人の組になって一週間の分かち合いや互いに祈りあう時間を持てないでしょうか?」との相談を、牧師先生にもちかけました。

牧師先生はしばらくお考えになった様子でしたが、「とても良いと思います。私の聖書のお話の時間の中でちょっとやってみましょう」
とおっしゃってくださいました。
私とおなじように土曜礼拝に通い始めてから救われたお母さんたち姉妹も、この事に大賛成してくれました。
どうやって2~3人のグループにわかれたらよいか、など私は具体的に方法を考え始めていました。

さてこの提案を同じ奉仕グループのリーダ(もと三育小の事務の先生で今は引退された方)にもお話したところ、「いいですね!考えていきましょう」とおっしゃってくださいました。ところが次の週、次のようなレスポンスが返ってきました。
「特に1年生や2年生の親御さんはまだ教会に来たばっかり。いきなり分かち合いやお祈りの時間がある、となると抵抗感を感じて今後教会に来ていただけない懸念もある・・。もう少し、徐々にゆっくり、様子をみながらやっていきませんか?」

このようにまったく想定もしなかった回答に、戸惑いを覚えてしまった私でした。
・確かに、個人的な話をするのは苦手な方がいらっしゃるかも・・
・結局その時間をさけて皆さん帰ってしまうかも・・
・このことで保護者から学校にクレームの声が来るかもしれない・・

しかし私にはノンクリスチャン時代に人生で初めて教会で自分のために祈ってもらった時、不思議と癒しと慰めが与えられた経験がありました。
保護者の中で重荷を抱えている方で、お1人でも神様からの癒しが必要な方がいらしたら、その方のために一緒にお祈りできれば・・・。
お一人お一人が教会に招かれている、この事実は偶然ではない。
お祈りによって、神様の恵みの経験を具体的に体験してほしい!
このような気持ちを諦められませんでした。

この事を、同じ関町教会の信者でもある主人に相談してみました。すると
「まず信者のお母さん同士、先生同士の小さな祈りから初めてみては?」
とのことでした。私は、この時、はっとさせられました。

私自身が、実はホーム教会で祈りのパートナーと個人的に祈ることを切にもとめていたのではないか?
その事にとても飢え乾いていたのではないだろうか?

そこで、もう一人の奉仕の先生、この先生は信仰の先輩であり、元三育小保護者のお母さんでもある方に、礼拝後、今回の提案についてご相談しました。先生からも同じく、少し懸念するというご意見をいただきました。
ご相談のあと、私は先生に、「同じお母さんとして、この事について一緒に祈っていただけませんか?」とお願いしてみました。
すると先生は喜んで、すぐにその場で膝まずいて一緒に祈ってくださいました。
そして、お祈りのあと、私たちは「毎週この時間に一緒にお祈りしていきませんか」と自然に言い合えることができました!
信仰の友であるもう1人の保護者のお母さんも誘い、今3人で、関町教会で、小さな祈りの時間をもつことができています。
祈りあうことで共に笑い、共に泣き、もっとお互いを知る事ができ、もっとパートナーのために祈りたい!と自然に思えるようになりました。
このような思いもよらなかった恵みと導きを与えてくださった神様に感謝します。
この私たちの教会での小さな、小さな祈りの輪を、神様が今後豊かに用いてくださり、いつか保護者の方々、子供たちと祈りあえる日が来ることを切に願っています。

 

マタイによる福音書6:8

だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。